2016年7月 8日 (金)

28.『最終回~その後~』

1998年。東京有明で行われた第二回フジロックフェスティバル。前年と違い後ろの芝生で座りながらゆっくりライブを楽しむ僕の横に、杉内はいなかった。

97年のフジロック以降、僕と杉内は全く会わなくなった。仲が悪くなったわけじゃなくて、ただ何となくそうなっていった。大方の予想を裏切り二回目の開催が発表された時、僕は
迷わず杉内を誘った。しかし今となっては理由を忘れてしまったが、杉内からの答えはNoだった。

結局僕は別の友人を誘い、一回目に味わった困難が信じられない位近い場所(僕も杉内も育ったのは有明のある江東区!)で開催されたフジロックに参加したのだった。

一回目とは比べ物にならない位好条件での開催となったし、観客も前年度の反省を踏まえ、時折休憩を交えながらゆったりとライブを楽しむ雰囲気が二回目にして既に形成されていたと思う。

しかし、それでも一回目と同じようなトラブルもあった。

一回目は台風だったが二回目は猛暑による厳しい暑さが観客を襲い、熱中症で倒れた人がかなり出てしまったようだ。そしてその事を一回目と同じようにマスコミはスキャンダラスに報じた。

また、「ハイロウズは熱狂的に受け入れられたのにイエモンは大ブーイングを浴びてしまう」のと全く同じ構図が二年目も繰り返された。ミッシェル・ガン・エレファントのライブは観客の盛り上がりが危険水域に達してしまい、何度もストップがかかった。その時に苛立ちながらもチバが放った、

「お前たちのロックを愛する気持ち、分かるよ」

という言葉は一生忘れられない。一方、初年度は二日目にラインナップされていた為、この年がリベンジとなった布袋のライブでは、曲中にある、

「お前ら、腐った豚だ」

という歌詞を自分たちに向けられたものだと勘違いした一部の観客から、ブーイングが起こってしまった。

このブログの最初の方で書いたように、兄が聞いていたBOØWYが音楽遍歴の出発点であった僕は、布袋出演中のステージ前方と会場後方の明らかな温度差に悲しい思いを抱いた。

また悲しい出来事なのであまり触れたくはないのだが、初年度はあれだけの混乱があっても出なかった死者が、二年目に出てしまった事は書き残しておかなければならないだろう。正確に言うと会場内で出た死者ではないのだが、ライブ後の地下鉄駅の混乱で亡くなられた方が一人いるそうだ。

今回、その情報の正確なソースを見付ける事は出来なかったのだが、主催者側のインタビューで触れられていたのを確かに見たし、実際あの時電車が止まってしまい大変だったので間違いではないと思う。幾ら便利で安全になったフェス環境であっても、やはり常に最低限の注意を怠ってはならないだろう。

しかし良い意味で一年目と同じだったのは、やはり出演者たちの熱演を堪能出来た事。KornやProdigy、二年目だっていつまでも忘れられない位印象的なライブを沢山経験できた。

いま思い出しても笑ってしまうのは、先述の通り帰りの電車が混乱していた事と会場が家と同じ江東区だった事から、またもや僕達は歩いて帰る決断をしてしまったのだ。その結果、見事に道に迷い、何と帰宅までに初年度の下山と同じくらいの時間が掛かってしまったのだ。やはり初年度の地獄は、一概に環境の問題だけではなかったようだ。

三年目からのフジロックは皆さんご存知の通り会場を苗場に移し、以降現在まで着実に歴史を積み重ねている。僕はと言えば、二年目以降なんだかんだと生活環境が変わってしまい、結局あれ以来フジロックには参加していない。

このブログは強烈過ぎた第一回フジロックの衝撃を残しておきたくて始めた。誰もがロケットが飛び立つ瞬間の衝撃を語りたがる。しかし本当に価値があるのは、やはりロケットが落ちずに飛び続けていく事にあるのだろう。だから僕は

「初年度のフジロックの凄さを知らないなんて!」

などと言うつもりは毛頭なく、ずっとずっとフジロックを支え続けて、参加し続けてきた方達にこそ真に歴史を語る資格があると思っている。

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杉内と会わなくなってから五、六年ほど経ったある日。同窓会で久し振りに彼と再会した。何故長い間会っていなかったのか不思議なくらい、あっという間に和んで話は弾んだ。僕は大学を卒業し家業を継いでいたが、相変わらず音楽やギターを楽しんでいた。彼もまだ働きながらギターを弾いていて、ライブも定期的に行っているという。僕は家で弾いて楽しんでいるだけだったので正直、

「ミュージシャンになる夢が諦められなくて、何となく続けちゃってるのかな?」

と思った。

「ライブ、見に来いよ」

と言われた時も、内心困った。弾き語りだというし、あまり良いと思えなかった時に逃げ場がない気がしたのだ。ただ何となく断る事も出来ず、ライブを見に行く事になってしまった。

一か月後。元はスナックだっという銀座の小さなライブハウス。手を伸ばせば届いてしまう程近い距離にあるステージに、杉内が現れた。イントロの力強いストロークが鳴り響き、彼は歌いだした。

僕は何で「あまり良いと思えなかったらどうしよう?」などと思ってしまったのか?相手はあの杉内だ。やっぱり今でもちゃんと一歩、いや何十歩も先を行っている。彼は何となく音楽を続けていたんじゃなくて、着実に歴史を積み重ねていた。まるでフジロックのように。

「僕はどんな歴史を積み重ねてきたかな?」

杉内の素晴らしい演奏を聴きながら、僕は考えていた。

1997年、第一回フジロックフェスティバル。色んな人達の思いを乗せて、フジロックの歴史は積み重なってきた。そして恐らく、これからも。

フジロックフェスティバル20周年。僕は今年、36歳になる。

(『富士山麓で俺は泣く』完)

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2016年6月28日 (火)

27.『全ての終わり?』

電車の路線図を見ると、時間は掛かるが案外簡単に東京へ戻れそうだ。

バスとはうって変わって、ぎゅう詰めの電車内に乗り込む。しかしそのおかげで今度はこの汚い格好も目立たない。なぜなら僕と同じような格好をした奴が腐る程いたからだ。何も事情を知らない地元の人達は、突然汚い格好をした奴らが何百人も乗り込んできた事にさすがに驚いただろう。

車内のいたるところで、昨日の出来事を興奮気味に語り合う声が聞こえてくる。僕だって話したいのだが、大人しく立っているしかない。杉内ははもういないのだ。

ふと横の二人組を見ると、公式パンフレットを見ながら語り合っている。

「しまった!」

昨日会場に着いた時にはもうライブが始まってしまっていたので、パンフレットは後で買おうと思っていたのだ。しかし、その後の大混乱ですっかり忘れていた…。見たい、どうしても。電車内は“あの苦難を乗り切ってきた者同士”という、どこか結束した空気が満ちているように感じたので、思い切って、

「あのー、それ見せて貰います?」

と、にこやかに声を掛けてみた。いきなり話し掛けられた二人組は、

「あ、いいっすよ」

と言ってはくれたが、予想に反して「何だ、コイツ」という冷たい目をしていた。よく考えてみれば全く知らない奴からいきなりそんな事を頼まれたら、誰だって嫌なはずだよ。本当はじっくり見たかったのだが、その冷たい視線に耐えられずパラパラっと見ただけですぐに返してしまった。

普段の僕なら絶対にやらない行動だと思うが、今考えてみると不思議な高揚感はあの時もまだ続いていたのだろう。

次の電車に乗り換えると先程より少し空いた為、椅子に座れた。

「凄かったみたいだな」

電車が走り始めてすぐ、今度は僕が横に座っていた初老の男性に話しかけられた。一目でフジロックの帰りだと分かったのだろう。しかし何故昨日の惨劇を知っているのか?男性によると、今朝のニュースで大きく報道されたのだという。

それを聞いて僕は何だか急に大事件を乗り越えた英雄になったような気がして、誇らしげな気持ちになったのだった。気が付くと、自分がどれだけ困難な状況を乗り越えてきたのか男性に喜々として語っている自分がいた。

男性は途中で降りてしまったので、そこからは再び眠りについてしまった。

何の電車をどう乗り継いだのか今では覚えていないが、目が覚めるといつの間にか新宿駅に到着していた。ここまで来れば流石に実家のあった江東区までは帰れる。

見慣れた地下鉄の景色の中に身を置くと、急に杉内や身内の事が頭に浮かんでくる。

杉内一家はもうとっくに家についているだろうな。病院には行ったのだろうか?ロックバンドの事をあまり知らない親には、昨日見た数々の素晴らしいライブをどのように説明しよう?もしかしたらニュースを見て心配しているかもしれないな。高校の友達には夏休みが開けたら早速自慢しよう。

そんな事を考えていると、あれだけ辛かった出来事が既に一夏の楽しい思い出として僕の中で定着し始めていくのだった。

やがて地元の駅に着く。東京に着いてからというもの、僕に投げかけられる汚いものを見るような視線は無視してきたが、さすがに地元はキツイ。同級生や知り合いにこの汚い格好を見られないよう、小走りで自宅のマンションへ急ぐ。

マンションのエレベーターを降りると、ああ!我が家が見えてきた。

家に着いたら、まず杉内に電話してみよう。そして熱い風呂に入るのだ。とにかく柔らかいベッドでぐっすりと寝たい。

パンフレットを買い忘れてしまったし、僕があの狂気の現場にいた事を証明するのは腕に巻き付いたチケットと全身の汚れしかない。風呂に入り汚れが洗い流され、眠りから覚めて心が平穏を乗り戻せば、全ては終わった事になってしまうだろうか?

いや、そんな事はない。恐らく一生消え去る事のない大きな大きなものが、僕の中にしっかりと刻み込まれた。

鍵を開けて家の扉を開ける。

「ただいま」

僕のフジロックが終わりを告げた。

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次回、最終回です。

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2016年6月23日 (木)

26.『静寂』

気合いを入れて二日目に臨むつもりだったが、僕のフジロックフェスティバル1997は唐突に終わりを告げた。無念さと若干の安堵を胸に、帰宅を決意した僕だった。

しかし冷静になって考えてみると、どうやって帰ればいいのか、さらに今いる場所がどこなのかも良く分からない。取り敢えず人のいる場所へ行こうと、先程のコンビにまで戻る事にした。

車を追いかけて猛ダッシュで走りぬけた道をトボトボと引き返していると、バス停があった。路線図を見てみると、河口湖駅まで行ける様だ。よく分からないが、そこまで行けば何とか東京まで戻れるだろう。幸いお金はまだある。時刻表を見ると、ほんの十分ほど前にバスは行ってしまったようだ。次のバスまで相当待たなくてはいけない。ついていない時はとことんついていないようだ。

コンビニまで戻り飯でも買ってこようかと考えたが、もうこれ以上歩くのは心底嫌なのでバス停のベンチでボーっと待つ事にした。僕以外にバスを待っているのは、ビックコミックスピリッツか何かを読んでいる男が一人。いつの間にか国道の渋滞も解消されている。昨日のフェス会場での喧騒を思うと、何だか不思議な気分だ。

「普段、この辺りはこんなに静かなんだなー」

このバスを待っている時間、改めて、というか初めて昨日起きた事を客観的に思い返してみた。

行きのバスの中で怒っていた人達、泥まみれの毛布に包まっていたカップル、雨で瞬時に水浸しになった昼飯、救急室の喧騒、バスの窓ガラスに投げられた石、杉内と口喧嘩したこと、そして何より熱演を繰り広げたバンド達。強烈過ぎる出来事の数々だったが、今こうして静かにベンチに座っていると何だか幻のようにも思えてくる。

もう天候は完全に回復していて、先程から射し込む暖かい光のおかげで洋服も乾いてきた。しかし服に飛び散った泥水も一緒に渇いていくので、茶色くカピカピになっている。自分がこんなに汚い恰好をしている事すら、今まで気付かなかった。爪で服にこびりついている汚れをこそぎ落としていると、バスがやってくるのが見えた。

フジロック帰りの人で一杯かと思ったが、乗ってみるとそんなに混んでいない。意外にも座る事が出来た。しかし混んでいないだけに、みすぼらしい恰好をした自分が凄く目立つ気がする。乗客の視線を感じる気もするが、もうそんな事はどうでも良い。

バスが走り出してすぐに、僕は深い眠りに落ちた。久しぶりに体も心も安心して休める時間が訪れたのだった。

目を覚ました時には、バスはもう河口湖畔の町を走っていた。ほうとうの看板などが見える。河口湖駅に到着すると、さすがにここはフジロック帰りの客で溢れていた。

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※イベントのお知らせ

いつも当ブログを読んで下さっている皆さま、本当に有難うございます。そろそろゴールが見えてきました。20周年のフジロックが開催される前に何とか書き終えたかったのですが、多分間に合いそうです。

ここ数日、とある話題でフジロックが論争の的になっており、それに伴ってか当ブログのアクセス数も増加しているようです。「日本の大型野外ロックフェスがどのような状態で産声を上げたのか、個人の視点で詳細な体験談を残しておきたい」という思いで書き進めてきましたが、やはりそれは必要な作業だったのかな?と思います。

『富士山麓で俺は泣く』を無事に書き終える記念に、という訳でもないのですが、一つイベントを企画しました。

東京の文京区にあるニッチな話題を語り合うスペース、「もてなし屋 根津」さんで、『1997年、第一回フジロック夜会』という催しをやります。

日時は来月、7月13日(水)の夜です。八時開始という割に深い時間なので、お仕事帰りにも寄れると思います。

僕や他の参加者の方の一年目フジロック体験談、当時の雑誌記事や映像なんかを肴に皆で語り合えたら、と思ってます。勿論、一年目のフジロックに参加されてなくても全然問題ありません。

どなたでも参加できますので、興味がある方は是非下のリンク先で詳細をお確かめください。よろしくお願い致します。

https://www.facebook.com/events/906446506147430/

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2016年6月15日 (水)

25.『急げ!』

「本日のフジロックフェスティバル二日目は、昨日の台風による会場へのダメージが激しい為、中止となりました」

僕は何が何だか分からず、暫くその場で立ち尽くしてしまった。フラフラとその警察に近寄り、

「…それ、それ、本当ですか?」

と弱々しく尋ねる。

「はい」

そっけない答えが返ってくる。周りにいる人達も驚きを隠せない様子だ。

(どうしよう?)

必死に頭を働かせる。

(杉内達と別れてからまだ十分位しか経っていない。国道が若干渋滞していた事を考えると、車はまだそれほど遠くへは行っていないはず…)

そう思うと同時に、僕は走り出していた。筋肉痛も無視して、国道脇を猛ダッシュする。昨日から指に食い込み続けていたビーサンのせいで、足の指の間が痛い。杉内家のハイエースと似ている車が何台もあるが、中を見るとどれも違う。

十分程走っただろうか?突然渋滞が途切れ、車が流れ始めていた。これでは到底追いつけない。僕はふと、杉内の親父さんの携帯電話を思い出した。

「そうだ、あれに掛けよう!」

さっき走ってきた道に確か公衆電話があった。慌てて引き返す。公衆電話はすぐに見つかったが、携帯番号が分からない。しかし杉内の自宅の番号なら暗記している(若い方は信じられないかもしれないが、あの当時はまだ携帯が普及していなかったので友達の自宅の電話番号は大抵暗記していたものだ)。杉内のお母さんに親父さんの携帯番号を聞けば良いんだ!

ところが、よりによってこんな時に小銭が僅かしかない。山梨から東京への通話料を考えると、これでは少ししか話せる時間がない。かといって、先程のコンビニに戻って両替している暇もない。とにかく急いで掛けなければ、車はどんどん遠くへ行ってしまう。

「プルルル、プルルル、・・・はいっ」

杉内のお母さんだ!良いぞ!僕は今の状況と小銭がないので電話がすぐ切れる旨を早口で告げる。幸いお母さんは状況をすぐ理解してくれた。

「じゃあ私がお父さんに掛けて説明するから、五分後くらいにまたここに掛けて!」。

そうか、それなら金はあまり掛からない!五分後、再び杉内の自宅に掛けてみる。

「…ゴメン。もう高速に乗っちゃったんだって」

…終わった。コンビニに入る前に警官の存在に気付いていれば、恐らく間に合ったはずだ。警官は道路の真ん中に立って叫んでいたのに気づかないなんて、僕はなんて馬鹿なんだ。昨日の地獄の下山以上に力が抜けてしまい、その場に膝から崩れ落ちてしまった。

僕はどんなに辛くても、二日目を最後まで見る覚悟はしていた。野宿になっても構わなかった。ライブ終了後、再び歩いて下山するのも。しかし、まさかこういう形で早々と帰途につく事になるとは想像もしていなかった。「ふざけんな!」とか「悔しい!」とかとも違う、何とも言えない不思議な感情に捉われてしまい、僕は公衆電話の前から動けなかった。空を見上げると、僕の沈む気持ちとは裏腹に天気は完全に回復しており、久し振りに太陽が顔を出していた。

だが暫くそうしていると、心の奥の奥の奥の方では、中止になってホッとしている自分がいるような気もするのだった。

フジロックフェスティバル1997、終了。

家に、帰ろう。

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2016年6月 7日 (火)

24.『衝撃』

完全に体調を崩してしまった杉内は家族と東京に帰り、僕は一人で二日目に参加する事が決まった。

今日もライブの開始は10時頃だ。昨日は台風直撃の最中、真っ暗な道を歩いて下山したのでよく分からないが、会場まで到着するのに2時間は見ておいた方が良いだろう。だとすると、既に時間に余裕はない。早速、キャンプ場を後にすることにした。

杉内の親父さんの車に乗り込み出発したが、恐らく一日目だけで帰るフジロックの観客の車なのだろう。国道がそこそこ渋滞している。中々前に進まない車内で僕は昨日の朝のバスを思い出し内心焦っていたが、しばらく走ると国道沿いにコンビニが見えた。あれは昨日、死にそうになりながら山を下りてようやく国道にたどり着いた時にあったコンビニじゃないか!

「ここで降ろして下さい!」

車が路肩に止まり、ドアが開く。

「本当に有難うございました!」

僕は礼を言って車を降りた。

「本当に、本当に気をつけてな。絶対に無茶はするなよ。帰ったら必ず連絡するんだぞ!」

やはり杉内の親父さんは、本当に僕を置いていくべきかまだ迷っているのだろう。顔にありありとその迷いが出ている。

「マジで気を付けてな。一緒に行けなくてごめんな」

杉内も心配そうに僕を見送る。杉内の家を出発する時、まさかこんな展開になるとは誰も思っていなかった。でも何故だかこの時の僕は疲れや不安よりも、杉内の家を出る時に心の中で湧きあがっていたドキドキやワクワクが復活していたのだった。

「じゃあな!」

再び渋滞の列に合流し去っていく車に手を振る。それまで杉内と10年近く一緒に過ごしてきた日々。それをたった一日で上回ってしまう程、昨日二人で経験した事は濃密であったように思う。

やがて杉内の親父さんのハイエースは見えなくなってしまった。

「よし!」

気合を入れて会場に向け出発だ!

国道を横断し、早速コンビニの脇に見える山道に向かう。幸い僕以外にも歩いて山道を登る選択をした人達が結構いる。取り敢えず会場までの道が間違っている、という事はなさそうだ。

コンビニを通り過ぎる時、フト思った。天候はかなり回復してきたとはいえ、まだ小雨くらいはパラつきそうな気配だ。何よりTシャツに濡れたズボンという馬鹿げた恰好では、昨日と同じ悪夢を経験する可能性は高い。雨というより寒さ対策も兼ね、コンビニで装備を整えた方が良いだろう。

コンビニにはビニールカッパの上下があった。ハンドタオルも役に立ちそうだ。店内を見渡してみると、僕と同じように薄着の人達が同じような買い物をしている。何だか少し安心した。

店から出て早速カッパを着込み今度こそ出発しようとすると、また気になるものが目に入った。先程国道を横断した時は気付かなかったが、警官が道路の真ん中で台の上に立ち、何か叫んでいるのだ。

「交通整理か?」

とも思ったが、何となく気になって叫んでいる内容に耳を傾けてみた。

「本日のフジロックフェスティバル二日目は、昨日の台風による会場へのダメージが激しい為、中止となりました!」

「えええええええっ!!!!!! 」

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2016年6月 1日 (水)

23.『固い意思』

二日目に単独で参加する事を決意した僕だったが、問題は山積みだ。

まず、そもそもどのようにして会場にたどり着くか?という問題。会場に直接乗り入れて駐車出来るのは、一日目と同様に事前に申し込んだ車だけ。当然杉内の親父さんの車は申し込んでいないので、僕は昨日と同じく送迎バスを使うしかない。

しかし昨日から状況が改善されたとも思えないので、送迎バスは恐らく昨日と同じような混乱を招くだろう。怒号飛び交うバス車内、イエモンへのブーイング、帰りのバス発着所の惨劇。僕は音楽を楽しみに来たのだ。あの空気に巻き込まれるのはもう嫌だ。それに今の杉内の状態を考えると、僕のせいで余計な時間を取らせるのも嫌だ。

「昨日の事を考えると、バスは何時に会場に付くか分かりません。だから歩いて会場まで登ろうと思います。なので悪いんですけど、会場へ通じる登頂口まで連れて行ってください。そこからは自分で何とかします。心配しないで下さい」

と提案した。自分でも驚くくらい、はっきりと自分の意志が湧きあがってくる。そしてそれを曲げるつもりは毛頭ない。しかし、当たり前だが親父さんは僕に対する保護責任を感じていたのだろう。困惑した表情を浮かべている。

今自分が親になってみて実感するのだが、一緒に出掛けた子供の友達が、過酷な体験をした数時間後にまた「歩いて会場まで行くから先に帰ってくれ」などと言い出したら本当に困ってしまうだろう。

「止めた方がいいんじゃないのか?本当に行くのか?せめてバス発着所まで送るぞ」

と、親父さんは何度も尋ねてくる。

その当時の僕だって、皆と一緒に安全に帰ることが一番良い選択であるのはさすがに理解していた。だが、それでも見たいのだ。最後まで体験しておかなければいけない気がするのだ。しかしそういう自分の意思を貫くなら、これ以上の迷惑を掛ける訳にはいかない。自分だけでやるしかないのだ。

必死で僕を引き留める親父さんに、僕も頑固に「いえ、大丈夫です」を繰り返した。結果杉内の親父さんはしぶしぶ納得してくれた。

その時、体調が悪化して車で寝ていた杉内がのそのそと起き上がってきた。

「これ、穿いていってくれよ」

先程キャンプ場の木柵に干した、杉内が穿いていたチノパンだ。僕がズボンを干した位置より若干日当たりが良かったのか、だいぶ乾いている。「自分の風邪が原因で僕が一人になってしまう」とでも思ったのか、心配して持って来てくれたのだ。しかし着替え等無いこの状況では、体調を崩してしまった杉内がそれを穿いておくべきなのは明白だ。

「ありがとう、でもお前穿いとけ。俺のも穿いてるうちに、きっと乾いちゃうよ」

と、丁寧に断った。いずれにせよ、この一件で昨日の下山途中以来ギクシャクしていた僕と杉内の関係も、一気に溝が埋まったように感じた。

会場にたどり着き無事ライブが見られたとしても、その後再び下山の地獄を味わうかもしれない。そもそも宿も決まっていないのに、どうやって夜を明かすのか?東京まで帰る交通手段も大丈夫だろうか?

昨日あれ程過酷な経験をした上に未解決の問題は山積み状態だったが、天候が回復しつつある事も相まって、何故だか僕は前向きな気持ちになっていた。

こうして杉内一家は東京に帰り、僕は一人で二日目も参加する事が決まった。

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2016年5月25日 (水)

22.『二日目の始まり』

良くも悪くもそれまでの人生で最も劇的だったフジロック一日目を終え眠りについた僕達だったが、朝七時頃には目が覚めてしまった。ほんの数時間しか眠れなかったが、それでも体は昨日よりだいぶ楽になっている。流石に筋肉痛で節々が悲鳴を上げているが、どうやら風邪も引かなくて済んだようだ。

車から出てみると小雨がぱらついていたが、殆ど気にならない程度になっている。こんなのは昨日に比べれば天国だ。時折晴れ間も見え始めたので、僕も杉内も昨日から履いているビチャビチャのズボンを外に干した。僕もまだ若かったのだろう。数時間前まであれ程酷い目にあっていたのに、パンツ一丁でキャンプ場の木柵にズボンをぶら下げていると、二日目のライブに向けて気合が沸いてくるのを感じていたのだ。

昨日は暗くて分からなかったがそこは割と広いキャンプ場で、天気さえ良ければとても過ごしやすく雰囲気の良さ気な場所だ。

先に車内に戻り横になってしまった杉内の様子を見にいく。僕とは対照的に彼は容態が悪化しており、ぐったり伸びてしまっていた。もう昨日の下山途中、いや、ライブの最中から風邪を引いてしまっていたのだろう。

「今日どうするの?」

僕は杉内に尋ねた。

「…悪い。俺は今日無理だ」。

そうか。彼の様子を見れば当然の答えだったが、僕は困惑してしまった。杉内は一刻も早く東京に帰った方が良いだろう。その場合、当たり前だが一人電車で帰す訳にもいかないので、杉内の親父さんも一緒に車で帰ることになる。杉内のお姉さん達は元々一日目だけの参加だった。

ということは、今日二日目を僕だけで見に行く場合、ライブ終了後に野宿などで夜を明かし、電車などを乗り継いで東京に帰るしかない。少しは体力も回復したとはいえ、全身筋肉痛の状態だ。それに一人で遠出もした事がない僕に、果たしてそんな事が可能だろうか?

杉内の親父さんが僕に言う。

「俺は親の責任上、こいつを早く家に連れて帰りたい。それに責任という事で言えば、お前を無事家に帰してやるのも責任だ。分かるな?」

僕は迷った。残念だけど普通に考えれば今日のライブを諦め、今から皆で東京に帰るべきだ。杉内の親父さんに迷惑を掛けるのも嫌だ。しかし今日の出演アクトが僕の頭を横切る。少年ナイフ、WEEZER、BECK、GREEN DAY、それに小学校の時にロックを好きになるきっかけになった布袋だって出る。そんなの、見たいに決まってるじゃないか!

…僕は決断を下した。

「僕、残ります」

杉内の親父さんは内心、僕が諦めると思っていたのだろう。驚いた様子で、

「本当に行くのか?悪いが俺達は協力出来ないんだぞ!」

と確かめてくる。

「はい!分かってます」

もうここまで来たら死んでも行くしかない。それに出演者云々は抜きにしても、この地獄のようなイベントがどういう結末を迎えるのか確かめたい、という気持ちにもなってきた。

悪夢の一日を乗り越えた僕は、人生で初めて能動的に何かを決断した。

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2016年5月18日 (水)

21.『下山⑦~一日の終わり~』

奇跡的に杉内の親父さんと会う事が出来た僕達は、ハイエースの荷台に揺られキャンプ場に到着した。そこでは杉内の弟とお姉さん達が僕達を待っていた。向こうも心配していたと思うが、僕も杉内のお姉さん達の安否を心配していたので、お互いの無事を喜ぶ。

顔を合わせた瞬間、今日一日どのような経験をしてきたのかそれぞれが猛烈に語りだす。杉内のお姉さん達は、ずっとセカンドステージにいたそうだ。セカンドステージはメインステージとは違い、地面が砂利だった。その為、あれ程の雨でも地面が水溜りになってしまう事もなく、比較的過ごしやすかったそうだ。

それが原因なのだろう。面白い事に杉内のお姉さん達は「電気グルーヴ最高!」とか「エイフェックスツインが家から出てこなかった」とか、専らライブの感想が中心なのだ。それに比べて僕達は、「バス発着所が物凄い状況だった」とか「終演後、ステージ上に倒れてる人たちが運び込まれていた」とか、状況説明が中心。つまり、「どちらのステージにいたか?会場までの交通手段は何だったか?用意してきた装備はどれくらいのレベルだったか?」等により、あの日のフジロックの感想は全く違ったものになるのだろう。

その点、「半袖短パンビーサン履き、送迎バス、メインステージから動かず」という状況だった僕達は、参加者の中でも最悪のケースを辿ったのかもしれない。

ようやく心底ホッと出来る環境に身を置く事が出来た上、冷え切った体も暖まったので、強烈な眠気が再び襲ってきた。まだこの時点では雨足も強く、せっかくのキャンプ場だがテント箔は到底無理だった。

借りたタオルケットに包まって車の荷台に横になる。この時をどれほど待ちわびたか。もう朝も近い。明日(というか既に今日)の二日目は、一日目の経験を活かし少しペースを抑えて見る事にしよう。

ほんの何秒かで僕と杉内は深い眠りに落ちてしまった。

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2016年5月10日 (火)

20.『下山⑥~デウス・エクス・マキナ~』

ようやくたどり着いた道の駅だったが、雨風が凌げる場所は僕達と同じように歩いて下山した人達で既に埋め尽くされていた。

僕達はヘロヘロと屋根など何もない花壇のような場所に倒れこんでしまった。一旦座ってしまうと、もう動けない。もう雨に濡れたってなんだって良い。とにかく眠りたい。うつ向いたまま、僕は目を閉じた。しかし、そこで寝るなんてとんでもない話である事にすぐ気が付いた。

ライブ中もそうだったが、歩いて体を動かしている時はまだしも、座り込んで動きを止め静かにしていると寒さが尋常じゃない。真冬でもこんなに寒い日は滅多に無いだろう。その中に半袖、半ズボンでいるのだ。仮に寝られたとしても、これでは凍死しかねない。大袈裟に聞こえるかも知れないが、あの時は本当にそう思った。

特に既に熱が出ているらしい杉内には危険すぎる。仕方ない、歩こう。もうそれしか方法が無い。 眠たい眼を開け、重たい腰を上げ、泣く泣く道の駅を後にし再び国道を歩き出す。

下山をし始めた時から何度も“歩く”と書いているが、どこに向かえば良いのか自分達でも分からないし、歩く速度も進んでいるのか止まっているのか分からない位だ。僕は既に杉内の体調を心配する余裕も無かった。それどころか自分の意識を保つのも難しくて、頭の中は完全に無の状態になっていた。

その時だ。突然向かい側から国道を走る車がクラクションを鳴らしながら近づいてきた。

「ププー、ププーッ」

何だ?ヘッドライトが僕ら二人を照らし出す。眩しい。車はゆっくり僕達の前で止まった。杉内が叫ぶ。

「親父の車だ!」

なんと、目の前に止まったのは杉内の親父さんの車だったのだ!親父さんが車から降りてくる。

「大丈夫か~?」
「どうしてここにいるって分かったの?」

僕と杉内はほぼ同時に質問していた。

「いやー、それはいいけど。バス発着所で待ってたんだけど全然帰ってこないから心配したんだぞ。お前達、ずぶ濡れじゃねーか。大変だったろ?」。

杉内の親父さん特有の優しい笑顔。恥ずかしい話、高校生にもなって僕は涙が溢れ出てきてしまった。

実際に行った人なら分かると思うが、あの広大な富士の裾野で知り合いの車とすれ違う可能性など、ほぼゼロといっても過言ではないだろう。本当に本当に信じられないような奇跡が起きたのだ。

全身濡れていた為座席ではなく、ハイエースの荷台に乗り込む。でもそこだって僕達にとっては天国だった。二人共疲れを通り越して死にかけていたにもかかわらず、杉内の親父さんに何があったのか一気に説明しだした。うんうん、と頷きながら、杉内の親父さんもこれまでの事情を説明してくれた。

親父さんは僕達を発着所で待っていたが帰ってこないので、いったんキャンプ場に戻ったそうだ。そこに自家用車で下山した杉内のお姉さんが戻ってきて (それでも渋滞の為、かなり遅くなったらしい)、会場が大混乱に陥っていること、僕達が行方不明であることを告げた。杉内の親父さんの携帯はやはり電波が入っていなかったそうで、下手に動いてキャンプ場からいなくなってしまうより待つことを選んだ。しかし深夜三時頃になっても戻ってこない為、さすがに捜索に出たのだった。しかし捜索といっても何の手掛かりもない。国道を走り回るしか術はなかったのだが、その最中に偶然僕達を見付けたのだ。

僕は今でもあの日の事を思い出す時、あそこであの奇跡が起こっていなかったら、と想像して怖くなってしまう事がある。しかし、奇跡は起きた。

こうして、僕達の悪夢は思いもよらない形で唐突に終わりを告げたのである。

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2016年5月 2日 (月)

19.『下山⑤~ナイト・オブ・ザ・リビングデッド~』

「やったぞ!」

細い山道から大きな国道に出た瞬間、僕達は歓声を上げた。遂に山を下ることが出来たのだ。しかし…。全く見覚えの無い場所だ。喜んではみたがそもそも僕達が目指していたのは国道ではなく、朝のバス発着所なのだ。

「なんだここ?」

杉内が久し振りに口を開けた。

「お前のせいで訳わかんねーとこに出ちまったじゃねーか。どうすんだよ?」

何だコイツ?

「お前にも判断を仰いだじゃねーか!なに僕だけのせいにしてんだよ!」

危うく反射的にそのような言葉が口から出かけた。しかし、ぐっとこらえる。彼の体調が洒落にならない程悪化しているのは一目で分かる。平時の精神状態ではないのだろう。ここで争ってもしょうがない。とりあえず、次にどこへ向けて進むのか考えなくては。この時、既に深夜一時頃になっていたと思う。

もはや朝のバス発着所がどこにあるかなんて、見当も付かない。仕方なく同じ道程で山を下ってきた人達の後に付いて、国道を歩き出す。しかし、恐らくこの人達も適当に歩き始めたのだろう。

僕と杉内は先程のいざこざで完全にギクシャクしてしまった。このまま気まずい状態で二人きりになるのはつらい。どこに向かっているのかは分からないが、二人でいるよりこの人達についていけば気まずさは多少和らぐ。

ここに来てもう完全に体力の限界が来てしまった。今までも辛かったが、まだ何とか気力を振り絞って歩くことが出来た。しかし一日中台風の中で飛び跳ねながらライブを見て、さらにその後に何時間も歩き続けているのだ。もはや気力などでカバーできる状態ではない。

腿が物凄く痛い。寒さで震えが止まらない。杉内を横目で見ると、唇が真っ青になってしまっている。きっと僕も同じような唇をしているのだろう。16年間近く生きてきて、まさかこの日本で、このような状況に置かれるとは夢にも思っていなかった。これじゃあ生死をかけたサバイバルだ。

国道沿いには殆ど何もなかったが、しばらく進むと何か大きな建造物が見えてきた、どうやら「道の駅」らしい。道の駅といえば高速道路におけるパーキングエリアのようなもので、自動販売機や飲食店がある筈。

「助かった…」

とりあえず屋根の下で雨風を凌いで休憩出来る。僕と杉内は最後の力を振り絞って道の駅まで急いだ。

深夜なので当然飲食店などは閉まっている。しかし自動販売機は稼動しているようだ。屋根のある場所を発見したので、小走りで近付いてみて驚いた。

既に屋根の下には物凄い数の人がひしめき合っていたのだ。皆へとへとになりながらも、何とかここに辿り着いたのだろう。何時間か前に会場のステージで見たように、地面にぐったりと倒れこんでいる。皆、死者のようにピクリとも動かない。雨が凌げる場所で僕たちが入り込めるようなスペースは、1mmも残されていなかった。僕と杉内は全身の力が抜けてしまった。

「やっと休めると思ったのに」

今まで最悪の事態は考えないようにしていたが、僕達が置かれている状況の危険度は本格的に高まっていたのだった。

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