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2016年1月

2016年1月25日 (月)

5.『怒声』

天神山スキー場までの送迎バス発着所に着くと、とてつもなく長い行列が出来ていたのだ。何が何だか分からないまま僕達は列の最後尾につく。暫くすると、徐々に前の方から情報が伝言ゲームのように伝わってきた。

どうやら会場までの山道が狭過ぎて、バスの運行が予定よりも相当遅れているらしい。良く分からないが、普通の観光用程度の大きさのバスが数本しか行き来していないようだ。ざっと見たところバスを待つ行列は数百人、いや数千人程に伸びている。一回に50人くらいしか乗れないとして、現在9時半くらい。最初のバンドが始まるのが11時。これはどう見ても間に合わない。

「どうする?」
「なあ?」

僕と杉内は顔を見合わせる。ふと気付くとバスに乗るのを早々に諦め会場まで歩く決意をした人達が、ゾロゾロ集団で動き出している。我々はどうするか?会場までの正確な距離は誰も分からない。もし歩いてみて途中で嫌になっても、その時はもうバスに乗ることは出来ないだろう。一個目のバンドは名前すら知らなかった「サザンカルチャー・オン・ザ・スキッズ」だし、残念だけどここは遅れても待っていれば着くのだけは確実なバスを選ぶことにした。それに何となくだけどこれは主催者が招いた事態なので、開演自体遅らせてくれるのではないか?という期待もあった。

それよりも気になる事があった。送迎バスを待つ人々が並ぶこの場を支配している空気だ。皆、口々に主催者への不満を漏らしている。

「金払ってるのに、何で最初から見られねーんだよ!」

そんな言葉がそこら中から聞こえる。全員物凄く苛立っていて、負のオーラが満ち溢れている。せっかく楽しみに来たのに、これはちょっと考えていなかった幕開けだ。

最悪の雰囲気の中、送迎バスをひたすら待つ。この時は僕の記憶では空は晴れ渡り、少し汗ばむ程であったと思う。10時30分頃。覚悟していたよりもやや早く、一時間程でバスに乗れた。これならギリギリ11時の開演に間に合うはずだ。しかしバスが走り始めてすぐに、それは無理だということに気がついた。

会場までの山道は想像していたよりもずっと狭く、車で直接会場入りする人達や送迎バス、それにライブの関係車両などで大渋滞になっており、まったく動かないのだ。

「おい。こんなに物凄く狭い山道、渋滞するなんて主催者側は予想しなかったのかな?」
「こんなの、俺達でも事前に分かるよな?」

既にこの時点で明らかに会場選びや導線の計算が間違っている。先に車で直接会場に向かった杉内のお姉さん達は、無事到着したのだろうか?

僕達が乗り込んだバスの乗客も皆、もうライブ開始には間に合わない事に気付き始め、先程からのイライラは倍増してきている。その時だ。

「テメー、もっと早く走れよ!」

車内に男性の怒声が響いた。それをきっかけに、

「取りあえず主催者出て来い!」

などと、理解は出来るがバスの運転手に言うには理不尽な罵倒を、何人もの人が投げ掛けはじめた。驚いて周りを見渡すと僕と同年代はあまり見当たらず、殆どが大学生かそれ以上に見える。僕は大人が集団で怒りを爆発させている現場を初めて目の当たりにして、ただただ戸惑うばかりであった。

結局、ライブ開始時刻の11時をバスの中で迎えてしまった。しかも、この辺りで雨がパラパラと降ってきた。僕は雨具や着替えなど何も持ってきていない。そういえば出発前、天気予報では台風到来を告げていた。杉内は小さい頃からキャンプなどのアウトドア経験がある為か、レインコートなどをちゃんと持ってきていた。

「しんどい事になりそうだな」

僕は自分の馬鹿さ、計画性の無さに初めて気付いた。最悪の空気が充満するバスの窓に額を押し付け、黙って外の雨粒を見ていた。

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2016年1月18日 (月)

4.『山をなめてた当時の僕』

フジロック前日の7月25日夜。僕達は天神山スキー場までの道が混むことを想定し、ライブ前日深夜に東京を出発することにした。待ち合わせ場所である杉内の家に着いた僕を見るなり、親父さんが言った。

「お前その格好で行くの?」

7月とはいえ既に東京は暑く、僕は半袖のTシャツ、ハーフパンツ、ビーサン、荷物は特に無くて財布だけという格好。しかし親父さんが呆れている理由が全く分からなかった。さらにこの時の僕は小さい頃からかけていた眼鏡を止め直前にコンタクトレンズを導入していたのだが、それが全く目に合わないという問題を抱えていた。常に目がゴロゴロするので杉内家の洗面所で目を洗っていると、何とコンタクトレンズを排水溝に流してしまった。幸い優しい親父さんがすぐに洗面台のパイプを外して見付けてくれたのだが、今考えるとこの時点で既に当時の僕の駄目さが大爆発している。

普段と変わらぬ軽装に、普段と違う身体状態。こういう舐め切った態度が後々悲劇を生むことになる。さらに、確かにこの時点でニュースは台風の接近を告げていたように思うのだが、何故か、本当に今の僕からしてみたら何故か、それすら僕は気に留める事もなかったのだ。

夜11時頃、親父さんのハイエースで出発。中学生の時に釣りやキャンプに連れて行ってもらった僕にも馴染みのある車だ。メンバーは僕、杉内、杉内の親父さん、杉内の弟。そしてもう一台の車で杉内のお姉さんとその友達が一人。彼女達もフジロックフェスティバルに参加するのだ。

車二台、計六人のパーティーは想定していたような渋滞にも捕まらず順調に関越自動車道を飛ばす。車内で杉内と「どのバンドを見るか?」という話題で盛り上がっていると、時間はあっという間に過ぎていく。

当日朝4時頃、目的地に無事到着。しかしこの駐車場は会場である天神山スキー場からはまだだいぶ遠い。実はライブ会場にも駐車場はあるのだがそこは駐車台数に限りがある為、事前に申し込みをした人しか車を止められない。実際、杉内のお姉さん達は申し込みをしていたので会場まで直接車で入れる。しかしそれ以外の人(つまり殆どの人)は、狭い山道を30分ほど送迎バスに乗って会場入りするのだ。ここはその発着所の近くなのである。

ライブ自体は朝11時頃から始まるので、10時にはバス発着場にいれば良いだろう。今はまだ4時。それまで、我々は親父さんの車の中で一眠りする事にした。期待で興奮が収まらない精神状態を必死に抑え、僕は目をつぶった。

朝 9時頃。目を覚ました我々は、今後の計画をもう一度話し合った。

① 送迎バスで会場入りする僕と杉内
② 直接自家用車で会場入りする杉内姉とその友達
③ キャンプ場に行く杉内親父さんと杉内弟

ここからはこの三組で別行動になる。

「夜9時頃ライブが終わって、また送迎バスでここまで戻ってくるんだよな?まあ、10時頃にはここに迎えにくるよ!」

そう言って車で去っていく親父さん達、車で会場入りする杉内姉達を見送り、僕と杉内は逸る気持ちを抑えられず、予定より早めにバスの発着場に向かった。しかし到着してみて驚いた。

「何だ、この行列は!」

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2016年1月12日 (火)

3.『常に一歩先をいっている奴』

杉内。杉内洋太。小、中学校の同級生。僕と同じようにお姉さんの影響で早くからロックを聴き始めた杉内は、学校で誰よりも早くギターを始めた人物でもあった。しかも杉内は、何というか「常に一歩先をいっている奴」だった。

ブルーハーツを教えてくれたので僕が熱心に聞いていると、彼はピストルズやクラッシュを聞いている。僕がそれを見て初期パンクのCDを買ってくると、彼は「ロックのルーツを知らなきゃな」とエルヴィスを買っている、という具合に。

ギターにしてもそうだ。彼がエレキギターでパワーコードをかき鳴らす姿に衝撃を受け、僕もエレキを買って練習し始めると、彼はアコギを買ってアルペジオを響かせている。僕がアルペジオを練習していると、いつの間にかドラムを叩いている。

一歩先を行っているのは音楽だけではない。釣りがうまかったり、筋の通った大人の意見で先生に反抗してみせたり、笑いのセンスも最高だったり、絵も上手かったり、空手が強かったり、友達をキャンプに連れて行ってくれるような優しい親父さんがいたり…。

僕は全ての面でいつでも杉内の後塵を拝していたが、一緒にバンドを組み大好きなブルーハーツのコピーに明け暮れたりしている時だけは、何とも言えない一体感を感じたものだ。
高校に入ってからは何故か彼と疎遠になっていたが、今回のフェスティバルにはハイロウズも出るし、何より彼は僕と違って行動力があるから一緒に行ってもらえれば心強い。早速何年振りかで彼に電話を掛けてみる。

「もしもし。久し振り!」
「おお、石井か。久し振り。何だ?」
「実は今度のフジロックフェスティバルの事なんだけど…」
「ああ、俺、行くよ」

何と!フジロックでも先を越されているとは。話によると杉内は親父さんと一緒に車でフェスティバル会場付近まで行き、親父さんはライブが終わるまで富士山麓のキャンプ場で待機。一日目のライブが終わったら迎えに来てくれて、キャンプ場で泊まる予定だという。

「お前も一緒に来いよ!」

車の問題も宿の問題も一人では心細過ぎるという問題も、全てが呆気なく解決してしまった。有難過ぎる杉内からの誘いに甘え、僕はようやくフジロックフェスティバルに参加出来ることになった。

それからは、次々に追加されるラインナップをチェックしながら、見たいアクトを決めていく作業に明け暮れる日々だった。

開催が近づくにつれ雑誌やMTVでの出演バンド特集が増え始め、それに比例するように本屋に行く回数と録画用ビデオテープの本数も飛躍的に増えた。プロディジーやレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンなど、その時点では知らなかったのに、この予習を経て気になる存在になったバンドも幾つかあった。杉内と事前に直接相談する事はなかったが、当時の僕が組んだ予定は概ね以下のようなものだった。

・一日目
①絶対に見たいバンド=レッチリ、フーファイターズ、ハイロウズ
②出来れば見たいバンド=イエローモンキー、電気グルーヴ、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン

・二日目
①絶対に見たいバンド=グリーンデイ、ウィーザー、布袋
②出来れば見たいバンド=プロディジー、少年ナイフ

とは言うものの、初年度のフジロックはメインステージとセカンドステージの2ステージ制だったので、中には時間が被る出演者もある。何より杉内が見たいバンドも聞いていないのだ。これは会場に向かう車中や会場での様子によって相談していくしかないだろう。いずれにせよ、事前にこういった事を考えていると毎日が楽しくてしょうがないのであった。

しかし、こうして振り返ってみて改めて気づくのは、あの時の僕は「野外音楽フェスに参加するにあたってどのような持ち物が必要か?」とか、「会場での食事はどのタイミングで、何を食べるのか?」といった基本的な事には一切関心がなかったのだ。この事が今でも悔やんでも悔やみきれない。

フジロックへの参加は僕の人生では珍しく能動的に下した大きな決断だったが、やはり心の奥底では昔から頼りにしていた杉内や杉内の親父さん達に頼り切っていたのだろう。

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2016年1月 4日 (月)

2.『レディングが日本にやってくる!』

1997年。

東京生まれ東京育ちの僕は高校二年生、16歳だった。初めて地元から出て学校に通わなければならない緊張感や、初めてのバイトで容赦なく大人に怒鳴られる挫折感と毎日戦っていた高校生活も二年目。学校もバイトもすっかり慣れてしまい、むしろ何も起きない日々に僕は退屈していた。

勉強が出来る訳でも出来ない訳でもなく、運動が得意な訳でも苦手な訳でもなく、金持ちでも貧乏でもなく、生きている事に絶望している訳でも希望を持っている訳でもない、ただただ平凡過ぎる人生を歩んでいたその頃の僕にとって、唯一の楽しみが音楽であった。

六歳年上の兄がいたので、音楽、特にロックに興味を持つのは周りの同級生より早かった。BOφWYに夢中になったのをきっかけに、メンバーが影響を公言していた洋楽を探る事で聞くジャンルを広げていく、といった兄の音楽遍歴は、そのまま僕の音楽遍歴となった。

小学生の頃から色々と聞いてはいたが、中学生になり兄とは関係なくCDを買うようになるとさらに音楽に対する熱は加速していった。 ただ当時は「一つのジャンルの歴史や体系を俯瞰で捉える」というような思考を持つ段階にはまだなく(そんなものが必要なのかも分からないが)、ディープパープルもビートルズもレッチリもブルーハーツもBOφWYも電気グルーヴも、その頃の僕にとっては全て“ロック”なのであった。

また、早くから洋楽を聞き始めると「国内の歌謡曲を馬鹿にする」という態度に出る奴もいたが、僕は重度のテレビっ子でもあったのだ。1990年代というと今よりミリオンヒットも多く、音楽番組も高視聴率を記録していた時代。ブラウン管を彩る歌謡曲を嫌いになれる筈もなく、ロックと同じように大好きであった。

さらに中学二年生でエレキギターを購入してからは、一日の大半をギターの練習に費やす、という日々だったので、思春期の僕にとって音楽は生きている意味そのものであり、平凡な人生を鮮やかに彩るただ一つの希望であった。

そんなある日。毎月買っている音楽雑誌をいつものようにペラペラ捲っていると、あるページに目が止まった。

「レディングが日本にやってくる!」

僕の記憶が確かならそんなキャッチコピーと共に、“フジロックフェスティバル”というイベント名、そして沢山のアーティストの名前が列挙されていた。

「“レディング”ってイギリスのロックフェスティバルだよな?それが“日本にやってくる”という事は、日本でロックフェスティバルが開かれるという事?だとすると、列挙されているアーティスト名はその出演者?でもレッチリやグリーンデイやハイロウズって書いてあるぞ?こんなバンドを一挙に見られるという事?」

その当時の僕の常識では考え難い事態を目にして頭はパニックを起こしたが、冷静に本文を読んでみる。

このフジロックフェスティバルは富士山麓にある天神山スキー場で、1997年7月26日、27日の二日間にわたって行われる日本初(後に必ずしもその認識は正しくない事を知るが)の野外ロックフェスティバルらしく、ロックファンなら誰しも知っているような豪華なアーティストが、洋邦問わず多数出演するという。

「何だか分からないけど、僕はこの“フジロックフェスティバル”に行かなければいけない気がする!」

退屈な日々を変える刺激が欲しかったのか、純粋に憧れのミュージシャンを見られる喜びなのか、それともまさかの異性との出会いを期待したのか…。今となっては覚えていないが、とにかく高校二年生の僕は瞬時にこのフェスティバルに参加しなければならない、と判断したのである。

しかしこのフェスティバル。値段は二日間で三万円近く、高校生にしてはかなり高い。しかもよく調べてみると、車で行かなくてはかなり不便なようだし、一日目が終わってからの宿の問題もある。僕は恥ずかしながらこの時点で、一人でどこかへ遠出をした経験など皆無だった。しかも親は離婚しており、母親と兄と慎ましく三人で暮らしていた為自家用車もない。

「これは誰か一緒に行く奴を探さなくちゃな」

だが僕自身はバイトをしていたのでお金はあったが、通っていたのは本来バイト禁止の私立高校。僕以外にバイトをしている友人がいなかった為、フェスティバル自体に興味はあってもそれに三万円近い金をすぐに出せる奴が見つからない。しかも親が車を出せる奴、となると…。困り果てた僕の頭に、一人の男の顔が浮かんできた。

「あいつだ!」

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1.『フェスって何なんだ!』

2013年1月3日深夜。僕のツイッターTLは一つの話題で持ちきりだった。早くも正月休みの遊び疲れが出始め早々に眠ってしまった妻と娘を横に、僕もその話題の中心であるラジオ番組に耳を傾けていた。

それはロックバンドOKAMOTO'Sのベーシストであるハマオカモトのラジオ番組で、この日の放送にはダウンタウンの浜田雅功がゲスト出演していた。つまりは、初めて公の場所で親子が共演したのである。

僕は小学生の頃から熱狂的なダウンタウンファンで、浜田の息子がベースを弾いているらしい、という事は松本人志と放送作家高須光聖のラジオ番組「放送室」を通じて知っていた。

その彼が浜田の息子である事を隠しながら(勿論、知っている人も多かった訳だが)プロデビューし、きちんと名を成してから初めて親と共演する、というストーリー。実は松本以上に謎が多い男である浜田が、恐らく初めて公の場で親としての顔を見せる、というストーリー。幾重にも折り重なった興味深すぎるこの物語を楽しみにしていたのは、ツイッターを見る限り僕だけではなかったようだ。

二人の話題は正月の放送という事もあって、「お正月の過ごし方」。浜田家は家族全員で旅行に出掛けるのが定番なのだが、ハマオカモトはバンド活動が忙しくここ何年かは顔を出していないという。

「皆が海外に行く時なんかは、俺フェスに出てたりする訳だから、年末ね」

「まあ、俺の中で“フェスって何?”みたいな所もあんねんけど…」

この唐突に飛び出した浜田の“フェスって何?”発言。浜田のキャラや世代の違いなどを象徴するような発言は、この日の放送で一番の笑い所となりツイッターTLも一際にぎわった瞬間となった。

しかし僕にとっては浜田の口から飛び出たこの“フェスって何?”という発言が自分の心の奥底にしまっていた思わぬ感情と記憶を呼び起こす起爆剤となり、深夜に一人、胸がざわついて眠れなくなる、という思わぬ事態に発展してしまったのである。

「そうだよ。フェスって何?フェスって一体何の事なんだよ!」

全く同じ疑問を20年前、高校生だった僕は富士山の麓で死にそうになりながら叫んでいた。夢とか希望とか憧れとか期待とか友情とか、そんなものをあざ笑うかのようにあっさりと吹き飛ばす猛烈な台風の中、僕は叫んでいた。

「フェスって何なんだ!」

~~~~~~~~~~~~~~~

あの日=1997年7月26日。あの場所=天神山スキー場。第一回フジロックフェスティバル1997。ありとあらゆる思いが交錯していたあの瞬間。しかし、その場にいた全ての者が一つだけ同じことを考えていた筈だ。

「このイベント、確実に今年で終わり。来年はないだろう」…

しかしその予想は全く当たらなかった。今や夏の風物詩となったこのイベントは、今年20回目を迎える。フジロックがこの国の音楽好き達のライフスタイルを一変させ、さらには当たり前の光景にまで定着した要因の一つは、間違いなく20年前の第一回目が良くも悪くも“強烈過ぎた”事だろう。

今では“伝説”の一言だけで片付けられてしまう事も多いが、実際にはあの時何が起きたのか?当ブログでは16歳でそれを体験した筆者が、あくまで個人的体験談としてそれを綴っていこうと思う。

以下に幾つか注意点を。

・あの時あの場所にいた人何万通りもの物語があると思うが、当ブログではあくまで僕個人の主観的な体験談を綴ります。

・とはいえ、出来るだけ当時のパンフ、RO・BUZZ・CROSSBEAT誌などを参照し、データ的なことに関しては正確さを欠かないよう気を付けます。

・更新は一週間に一度くらいを目安に。もっとゆったりしたペースになるかも。

・最初のうち数回は僕の音楽遍歴などの個人史になります。「お前の事なんか誰も気にしてないわ!」というご意見はごもっとも!でも後々そういった事も重要になってくるので我慢して頂ければ…。

・私、普段は片手袋研究家としてブログHPを運営したり、テレビや新聞等に登場させて頂いております。そちらの活動の方もぜひよろしくお願い致します。

・とりあえず無料ブログを利用して始めますので、広告等が多く見づらいのはご容赦ください。

・ご意見等は「katateblog@gmail.com」までどうぞ。

少しでもこのテーマに興味を持って頂けましたら、次回から是非宜しくお願い致します。

石井公二
(片手袋研究家)

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