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2016年3月

2016年3月29日 (火)

14.『レッドホットチリペッパーズ(2)~ワン・ホット・ミニット~』

そして21時頃。遂にレッチリが現れた(予定では19時40分スタート。何とここまでで一時間以上も押していたのだ)。

アンソニーが右腕にギプスをしている。あんな状態で来てくれたのか!フリーが既にエンジン全開で飛び跳ねている!まだ何もしてないのに、もう格好良い!やっぱりこの場所に来て、そしてここまで耐えてきて良かったよ!!いよいよ演奏が始まる。

一曲目は…『Suck My Kiss』!いきなりきた~! あの時の観客の体力は(何度も言うが)本当に限界にきていた。しかしこのいきなりの『Suck My Kiss』には知らず知らずのうちに皆の体が反応していた。ハイロウズやレイジの時のような激しさはない。しかし皆が最後の力を振り絞ってフリーのベースに、アンソニーの唄に、チャドのドラムに、デイヴのギターに反応し観客席が大きくうねっている。僕もあの瞬間、「もうくたばってもいい」と確かに思っていた。

この日一日、死にそうな状況を必死に耐えてきて、今この最高のバンドを迎えている。達成感や安堵感のようなものが観客を包み、この日一番会場の一体感を感じることが出来た。彼らの一挙手一投足、絶対に見逃すまい。

一曲目が終わるとフリーが「テツワンアト~ム!クロサ~ワ~!トシロ~ミフ~ネ!ユキ~オミシ~マ!」と謎の雄叫びを発した。実はこういった態度やアンソニーの差別用語発言が、後に一部で「レッチリは日本人差別をしていた」という議論を引き起こしてしまう。僕がリアルタイムで感じた正直な感想は、「そんな事を感じる余裕すらなかった」が本当の所だ。

二曲目、『Aeroplane』が始まる。フリーのベースはバキバキと金属音のようだ。チャドのドラムはとても重いのだが、同時に抜けの良い甲高いスネアの音色が気持ち良い。アンソニーは中腰でマイクスタンドにかぶりつかんばかりの勢いで長髪と(何故かズボンについていた)尻尾を振り乱している。腕が片方使えないというハンデを全く感じさせない迫力だ。デイヴ・ナヴァロのギターソロはエフェクターの効果で観客の頭上をグルグル廻っているように聴こえる。何か凄く気持ち良い。

この時のライブは現在、台風や骨折という『状況』として伝説になっていると思う。しかし『演奏』という側面での評価はどうだろう?

後にデイヴが抜け、ジョン・フルシアンテが劇的に復活して『カリフォルニケイション』を発表した時、「ようやくこれでレッチリがベストの状態に戻った。『One Hot Minute』は散漫な作品だったし、フジでのライブは伝説にはなったが、演奏レベルはひどかった」というレビューを見かけてしまった。

嘘付け!あの時のレッチリは凄かったじゃないか!そしてデイヴ・ナヴァロ色が強く出た『One Hot Minute』は絶対名盤だよ!確かにジョン・フルシアンテのギター、そして彼が在籍していた時期の作品は僕も大好きなのだが、デイヴのエフェクターを多用した変幻自在の音色のギターも凄かったんだ!僕はこの耳で聴き、そしてこの目で見た。

それにあれだけ悲惨な状況(今映像で見ても分かるが、レッチリの時には雨だけでなく風が物凄いことになっていた。その為大粒の雨がもろにステージのメンバーに吹き付けていた)で、あのレベルのライブが出来ることの方がむしろ僕には信じられなかった。

ちょっと感情的かつ蛇足になってしまったので話を元に戻す。

唐突に完全におちょくったスパイスガールズのカバーに会場中から笑いが起こる中、『Stone Cold Bush』になだれ込む。先程,バンドを褒め称えるような事を書いたばかりだが、確かに若干のやけくそ感は漂っていたと思う…。

やはりステージの状況は相当厳しいらしい。一曲終わるごとにメンバーが集って何事か相談している。アンソニーが「Shit!」やら何やら叫んでいる。それでも何かを確かめるようにじっくりと一曲、また一曲とライブは進む。

六曲ほど演奏しただろうか?おもむろに皆の待っていた『Give It Away』が始まった!もう会場中が狂ったように暴れ、唄い始める!三万人ほどの大合唱は間違いなくこの日のハイライトだった。

しかし…。この曲が終わるとアンソニーが引っ込んでしまった。チャドがドラムを破壊し始める。え?もう終り?まだ四十分ぐらいしか演奏していないじゃないか!観客も皆、何が起こっているのか理解出来ない様子。おもむろにフリーがイチモツを取り出しシゴキ始める。ヒロトに続き、本日目撃する二本目の竿。奴がここまでするって事は、どうやら本当に終わりなのか?

ステージには誰もいなくなってしまった。それでもまだ皆、彼らが帰ってくることを信じて待っている。僕と杉内も勿論待っている。長いこと誰も帰ろうとしなかったが、ステージに主催者が現れ告げた。

「もう終わりです!」

こうして唐突に、長い長い壮絶な一日が幕を閉じた。若干の不完全燃焼感は漂っていたものの、

「燃えた。燃え尽きたよ。俺達は耐え抜いたんだ!」

…と、この時の僕達は思っていた。しかし、本当の試練はこの後に始まったのだ。

(※ライブ本編のレポートは今回で終わりです。

何とフジロックファンにはお馴染みの岩盤さんが、富士祭電子瓦版で当ブログを紹介して下さってます!

次回からは『下山編』が始まりますが、本当に書き残しておきたかったのは、ここからなのです。お楽しみに!)

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2016年3月22日 (火)

13.『レッドホットチリペッパーズ(1)~闇に響く声~』

イエモンのステージが終わる頃には、既に19時は過ぎていたと思う。長かったフェスティバル初日もいよいよレッチリを残すのみだ。夜間照明が闇の中に降る雨を照らし出し、とても綺麗に見えた。意識は既に朦朧としていたが、心の奥に僅かな高揚感が沸き上がってくるのを感じる。

僕とレッチリの出会いは中学二年生にまで遡る。杉内に借りて初めて『母乳』を聞いたときは、相当な衝撃を受けた。日本人から見ても確実に素行がよろしくないであろう男達なのに、演奏が異常に上手い。マジック・ジョンソンをひたすら応援するだけの馬鹿げた曲が、とんでもなく恰好良いなんて!

僕は放送委員に頼み込み、給食の時間の放送で『マジック・ジョンソン』を無理やりかけて貰ったりしていた。今考えてみれば、どれだけ落ち着かない給食なんだよ!迷惑な話だ。

『ワン・ホット・ミニット』はリアルタイムで出た初めてのアルバムだ。高一で学校のアメリカ研修に一か月間参加した時、カリフォルニアのタワーレコードで買った。流石彼らのお膝元。入り口に信じられない量のアルバムが積まれていたのを覚えている、

ギターはジョン・フルシアンテからデイヴ・ナヴァロに変っていたが、これも聞いてすぐに名盤だと思った。宿泊場所だったアメリカの大学のドミトリーで、毎晩毎晩繰り返し聞いた。すぐにでもギターをコピーしたかったのに、当然アメリカにはギターを持っていけなかったのでストレスが溜まった。

雑誌などで彼らの特集が組まれると必ず買っていたが、どの特集もレッチリのライブバンドとしての凄さに必ず触れていた。

「いずれ絶対に見てみたい!」

と思い続けていたその張本人達が、もうすぐ目の前に現れるのだ。

実はフジロック開催の直前に「アンソニーがバイクで転倒して骨折!」というニュースが音楽ファンの間に駆け巡っていた。「レッチリキャンセルか?」と一時は思われたし、僕自身相当落ち込んだのだが、出演は取り消されず無事この日を迎えていた。

天候は良くなるどころか、ますます酷くなっている。それに今までも寒かったが、暗くなると共に温度が急激に下がり始めている。これがつらい。皆ブルブルと震えながらひたすらレッチリの登場を待っている。

ステージではセッティングが進められているが、端のほうで再び主催者が観客に注意を呼びかけている。「皆、最後まで安全に終われるように…」云々。しかし主催者の握っていたマイクが、いつの間にか最前列の観客の手に渡ってしまったのだ。

「真奈美ちゃーん、はぐれちゃったけどレッチリ終わったらトイレのあるエリアで待ってまーす」

「賢治~。もう体力の限界が来てしまったので、悪いけど先に帰ります。ごめんな~」

「みんな~。辛いけど頑張ろうなー。レッチリが見れるんだからよ~」

「○○#$%☆◇!」

マイクが順番に回され、私的な連絡事項を述べる奴、奇声を発する奴、死にそうな声で
何かボソボソとしゃべる奴、そんな様々な声が永遠と会場中に流される。普通のライブでは、まずそんな事態にはならないだろう。しかし主催者もそれを容認しているようだ。そのことが逆に、

「やっぱり今は異常事態なんだな。皆もう限界で危険な状態なんだな」

と再認識させる結果となり、体力と共に精神的にもまいってしまった。

杉内とはもう随分と口を利いていない。僕より雨具などの用意が若干良かった杉内だが、ダメージは僕より深刻そうだ。先程より顔色が悪い。そんな彼の体調が気にはなるのだが、自分も相当酷い状況なのでどうすることも出来ない。しかしそんな悲惨な状況でも「帰る」という選択肢は二人の間にはなかった。最悪の事態になってもいい。レッチリだけは見なくては。

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2016年3月15日 (火)

12.『ザ・イエロー・モンキー(2)~悲しきASIAN BOY~』

開演前から会場に充満していた悪い空気が解消されないまま、イエローモンキーのステージが始まった。

普段はプラスに働く筈の彼ら特有の芝居がかった雰囲気が、どうもマイナスに働いてしまっている。ここまで登場したバンドの殆どは、アップテンポの激しい曲や重いビートの曲で客を煽っていたが、彼らはスローテンポの曲もじっくり演奏していた。観客からしてみるとそれを黙って聞いているにはあまりに寒く、体力ももう残っていなかった。

これまではその寒さや体力の消耗を誤魔化すようにどこかやけくそでマッチョ的な盛り上がりを見せていた観客だが、イエモンは女性ファンが多く(記憶が曖昧だが確かポンポンを振りながら黄色い声援を飛ばすファンもいた)これまでの流れからは完全に浮いてしまっていた。

本当にショックだったのは、僕の横の外国人(恐らくレッチリ待ち)が「ジャップ!」みたいな事を大笑いしながら叫び、それを聞いた周囲の日本人も笑い出した事だ。前回も書いたが僕はイエモンファンだったので…。

最後の方にボーカルの吉井が「We are NO.1 Japanese R&R band.The Yellow Monkye!!」と叫んだときも、嘲笑や怒号、罵声が飛び交っていた。大好きなイエモンが目の前でこんな目にあっているなんて。はっきり言って痛々しくて見ていられなかった。

勿論、リアルタイムでは観客側のこの空気がステージ上に伝わっているのかは分からなかった。彼らは必死に演奏を続けていたので。しかし後に聞いたところによるとバンドメンバーもやはりショックを受けていて、フジロックのステージが失敗した事はイエモン解散の要因の一つにもなったという。

しかし僕は、あれから二十年経った今だからこそ彼らを擁護したい。あの日の彼らのパフォーマンスは申し分なかった。しかし多くの観客はレイジで体力を使い果たし、あとは一刻も早くレッチリを見てさっさと帰りたい、という状態になってしまっていたのだ。それなのに、長引いたセッティング、スローな曲も交えた一時間以上のセットリストといった要素が、完全にアウェイな雰囲気を作ってしまった。だけど、レイジとレッチリの間で演奏する、という華やかな舞台を用意されたら、誰だってそのくらい気合が入ってしまうだろう?

いや、もっと本音を書こう。「あの日の惨劇はイエモンや観客が悪いのではなく、不幸な状況が重なって作り出してしまった」と結論付けるような事を書いているが、本当は観客側の邦楽バンドに対する「ある種の感情」がそうさせた面も少なからずあると思っている。

1997年の時点では確実にジャンルや洋邦の壁が存在していた。いや状況はさらに複雑で、邦楽の中でも洋楽リスナーに受け入れられるかそうでないか、といった選別があったのだ。事実、ハイロウズはあんなに大盛り上がりで会場全体が一体化していた。一部の洋楽ファンの間に、イエモンのようなヒットチャートも賑わす存在に対する冷たさが確実にあった(ここまで断定的に書くのは、二年目のフジロックでも同じような事が起きたからなのだが、それは後日)。

つまり恐らく天候が良くても、洋楽ファンも知ってるヒット曲満載でアップテンポ中心のセットリストだったとしても(あるいはその逆に徹底的にマニアックな選曲でも)、何らかの否定的な反応がイエモンに浴びせられていたのではないか?

もしかしたら会場を苗場に移して以降の若いフジロックファン、もしくは1997年以降に沢山開催されている各種ロックフェスファンの方々には、僕が少々話を盛って書いていると思われるかもしれない。何故なら2016年現在、ロックフェスにアイドルや歌謡曲寄りのバンド、それこそイエモンが出演しても、ブーイングが起こるような事態に発展する事はまずないだろう。いや、むしろ如何に音楽性の振れ幅を大きくするかが、各種フェスの生命線になっているといっても過言ではない。

例えば2014年のSUMMER SONIC。ジャニーズからTOKIOが出演したのだが、ロックファンも大いに盛り上がった様子がTwitterなどで話題になった。勿論興味がない人も会場には大勢いただろうが、そういう人は他のステージを見ていただけの話。少なくとも彼らのステージを野次ったり罵ったりするような雰囲気ではなかっただろう。僕はこの出来事を、個人的にとても素晴らしいと感じた。

誤解しないで欲しいのは、「音楽ファンたるもの、どんなジャンルの音楽でも好きにならなければならない!」という事が言いたいのではない。また、ロックの歴史を振り返る時、悲しい事件が伝説化していく事も沢山ある。

ただ高校生の僕は、ロックフェスには「音楽の持つ自由な空気が作り出す連帯感」みたいなものを期待していたので、この出来事は衝撃が大きかった。現在の野外ロックフェスに漂う自由な空気は、最初から出来ていたものではない。この事だけは書き残しておきたい。

「音楽フェスって、もっと楽しいものじゃないのかよ!フェスって、何なんだよ!」

彼らが最後に演奏した、あまりに象徴的なタイトルである『悲しきASIAN BOY』を聞きながら、僕は心の中で叫んでいた。

あれから20年。今年でフジロックが20周年を迎えるタイミングで、イエローモンキーは再結成を発表した。

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2016年3月 8日 (火)

11.『ザ・イエロー・モンキー(1)』

レイジの演奏が終わる頃には、空はだいぶ暗くなっていた。残るはあと二バンド。次はイエローモンキーの出番だ。

ギターに憑りつかれていた中学生の僕にとって、エアロスミスなどハードロックバンドの華やかさは憧れの的。しかし一方で、テレビの歌番組が大好きで、日本の歌謡曲が持つ抒情性も大好き。その両方の要素を併せ持つイエモンは「こんなバンドを待っていた!」と言うくらい、当時の僕にはど真ん中ストライクのバンドだった。

ところで話は若干逸れるが、ここまで読んである疑問をお持ちになった方もいるかもしれない。

「お前はセカンドステージには行かなかったのか?」

この第一回フジロックフェスティバルにはメインステージとセカンドステージ、二つのステージが用意されていた事は既に書いた。メインステージはステージも客席も大きく、出演者もどちらかというとメジャーで活躍しているバンドが多い。一方のセカンドステージはステージも客席も小規模だが、通好みで個性的な出演者が多く出演する。実際に行った方は分かると思うが、僕が今までライブレポートを書いてきたのはいずれもメインステージの出演バンドだ。

レイジが終了した時点までを振り返ってみても、セカンドステージではボアダムズやアタリ・ティーンエイジ・ライオットなど見てみたかったバンドが多く出ていた。会場に着く前までは絶対に見たいバンド以外は、「メインステージとセカンドステージの選択は、その場のノリで決めよう!」などと考えていた。

たとえば次のイエローモンキーの時間、セカンドステージでは電気グルーヴのライブが行われていた。イエモンは大好きだったが、もし天気が良かったら電気グルーヴとどちらを選ぶか相当悩んだろう。何しろ僕はイエモンを好きになる以前、小学生の時から電気グルーヴのラジオ番組を毎週欠かさず聞いていたのだ。彼らのライブだって物凄く見たかった。

こういう「見たいバンドの出演時間が被ってて、決められない!」という嬉しい悲鳴こそ、本来野外フェスの醍醐味となる筈だろう。しかし初年度のフジロックの観客は暴風雨に晒され続けて体力を著しく消耗している状態。両ステージの僅か20分ほどの距離が果てしなく遠く感じられ、逡巡の果てではなく惰性でどちらかのステージに留まっている観客が殆どだったように思う。

僕達もそのような事情で、最初に選んだメインステージエリアから移動する事が不可能になってしまっていた、という訳なのだ。

それにしてもイエモンのセッティング時間が長い。彼らのセッティングが遅れているというより、ずっと雨風に晒され続けた機材にトラブルが起きているのかもしれない。レイジのライブを見終わった人達も、イエモンの次、トリのレッチリを少しでも良いポジションで見ようとステージ付近から動かない。つまり多くの人がイエモンではなく、レッチリを見る為にステージ前にいるような状況になってしまっている。そこら中で「さっさとセッティング終わらせろよ」などと、ステージに向かって野次を飛ばす奴が出始めた。行きのバスの車内が頭をよぎる。朝から頑張っていた最前列の女の子達は大丈夫だろうか?

そんな悪い空気の中、ようやく彼らが出てきた。初めに書いておくが、今から冷静に振り返ってみても洋楽勢に比べて彼らの演奏は全くひけを取っていなかったし、曲も素晴らしかった。しかし結果的に言えば、あの日のイエモンのライブは初年度のフジロックを振り返る時、台風と同じくらい辛い思い出として蘇ってくるのだ。

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2016年3月 1日 (火)

10.『レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン』

まずい“何か”を食べ終え、再びステージに向かう。フーファイターズは既に終わり、次のバンドのセッティング時間だ。ここまでずーっと最前列で見てきたが、一度離れてしまうと再び前に行く気力が湧いてこない。

次はレイジ・アゲインスト・ザ・マシーン。事前にMTVで気になっていたバンドだが、詳しくは知らないし真ん中ぐらいの位置で見る事にした。その辺りから見下ろすように前方を見てみると、皆一気に元気がなくなってきたのが良く分かる。会場全体の空気が重い。やはりこの天候で序盤から飛ばしすぎたことで、確実に皆の体力が奪われている。その証拠にあれほど密度の濃かったステージ前辺りが、人がまばらになり始めている。

先程から感じていた事だが、何もする事がないこのセッティングの時間がかなり厳しい。とにかく寒くて、皆同行者と会話をする気力もないのだ。

…などと思っていたら、あちこちで「オイ!オイ!」とコールが起こり始めた。バテているように見えた観客が、何故だか分からないけどいきなり復活し始めている。

「何なんだ?」

そのうちに後ろに下がっていた人達も、ジリジリと前方に戻り始めた。僕も何となくその人の流れに押されて、前の方に進み始めてしまった。どうやら次のレイジに対する期待がこのような現象を起こしているようだ。その時杉内が、

「俺はちょっとこのバンドは休む」

と言った。

「分かった。じゃあ、ここで待ってて」

と伝えた僕は、結局また最前エリアまで来てしまった。メンバーが登場する。ベースボールキャップをかぶったギタリストが一曲目のリフを引き出す。その瞬間、観客は再び先程までの興奮状態を嘘のように取り戻した!

ギターを何年も弾いている僕でも、どんなエフェクトを使っているのか見当もつかない変な音色のギター。怒ったような顔でボーカルのドレッドがライムをマイクに叩きつける。レッチリに近いものがあるが、もっと直線的な暴力性を感じる。こんなスタイルの音楽を僕はこの時点で全く聴いたことがなかったので、その分、受けた衝撃はとてつもなく大きかった。

繰り返しになるが、ギターが次々と聴いたこともないような音を出してくるのだ。ギターを弾くだけに、奴がやっていることが新たな発明だというのが良く分かる。それに、ボーカル。何を言っているのかなんて全く分からないが、このバンドがとてつもなく大きな怒りを抱えていることだけは痛いほど伝わる。

「なるほど。こんな凄い奴らがいたのか。そりゃー、皆も復活するはずだよ!」

文句なしに圧倒的だった。

しかし一曲目が終わる前に信じられない事が起きた。僕の後ろのほうからアーミーのようなゴツイ体型の白人が、10人くらい猛ダッシュで押し寄せてきたのだ。次々に華奢な日本人を弾き飛ばして突き進んだそいつらは、今度はそこら中でぶつかり合い(というか殆ど殴り合い)を始めたのだ!しかも笑顔で。意味が分からない。とにかくこの辺りは危ない。僕はすぐさま後ろの方に逃げ帰った。

ダイヴやモッシュを数時間前に初体験した僕には、刺激が強すぎる展開だった。 杉内の所に戻り後ろから静かに眺めていると、やはりギターの奴とボーカルが物凄く眼を引く。

「あいつ、凄ぇな」

やはり杉内もギタリストが気になるようだ。「初期ビートルズかよ!」とツッコミたくなるほど、ギターを上に構えている。僕の世代ではギターストラップは長ければ長いほど恰好良いとされていたが、こいつはどうだ?それにどちらかと言えば「ダサいもの」として認識されていた速弾きで、こんなに客を興奮させるとは。僕は家に帰ったら即こいつらのCDを買い、ストラップを短くし、速弾きの運指練習に励むことを決めていた。

途中、プロディジーのキースがステージに乱入する、という豪華すぎるサプライズに再び場内は湧いた。しかし今から振り返ってみるとこの日のレイジにおける観客の盛り上がりは、消える前の蝋燭が最後にもう一度燃え上がる、というあれだったのかもしれない。暗くなり始めた台風の空の下、暴れ狂う観客はどこかやけくそに見えた。

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