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2016年6月

2016年6月28日 (火)

27.『全ての終わり?』

電車の路線図を見ると、時間は掛かるが案外簡単に東京へ戻れそうだ。

バスとはうって変わって、ぎゅう詰めの電車内に乗り込む。しかしそのおかげで今度はこの汚い格好も目立たない。なぜなら僕と同じような格好をした奴が腐る程いたからだ。何も事情を知らない地元の人達は、突然汚い格好をした奴らが何百人も乗り込んできた事にさすがに驚いただろう。

車内のいたるところで、昨日の出来事を興奮気味に語り合う声が聞こえてくる。僕だって話したいのだが、大人しく立っているしかない。杉内ははもういないのだ。

ふと横の二人組を見ると、公式パンフレットを見ながら語り合っている。

「しまった!」

昨日会場に着いた時にはもうライブが始まってしまっていたので、パンフレットは後で買おうと思っていたのだ。しかし、その後の大混乱ですっかり忘れていた…。見たい、どうしても。電車内は“あの苦難を乗り切ってきた者同士”という、どこか結束した空気が満ちているように感じたので、思い切って、

「あのー、それ見せて貰います?」

と、にこやかに声を掛けてみた。いきなり話し掛けられた二人組は、

「あ、いいっすよ」

と言ってはくれたが、予想に反して「何だ、コイツ」という冷たい目をしていた。よく考えてみれば全く知らない奴からいきなりそんな事を頼まれたら、誰だって嫌なはずだよ。本当はじっくり見たかったのだが、その冷たい視線に耐えられずパラパラっと見ただけですぐに返してしまった。

普段の僕なら絶対にやらない行動だと思うが、今考えてみると不思議な高揚感はあの時もまだ続いていたのだろう。

次の電車に乗り換えると先程より少し空いた為、椅子に座れた。

「凄かったみたいだな」

電車が走り始めてすぐ、今度は僕が横に座っていた初老の男性に話しかけられた。一目でフジロックの帰りだと分かったのだろう。しかし何故昨日の惨劇を知っているのか?男性によると、今朝のニュースで大きく報道されたのだという。

それを聞いて僕は何だか急に大事件を乗り越えた英雄になったような気がして、誇らしげな気持ちになったのだった。気が付くと、自分がどれだけ困難な状況を乗り越えてきたのか男性に喜々として語っている自分がいた。

男性は途中で降りてしまったので、そこからは再び眠りについてしまった。

何の電車をどう乗り継いだのか今では覚えていないが、目が覚めるといつの間にか新宿駅に到着していた。ここまで来れば流石に実家のあった江東区までは帰れる。

見慣れた地下鉄の景色の中に身を置くと、急に杉内や身内の事が頭に浮かんでくる。

杉内一家はもうとっくに家についているだろうな。病院には行ったのだろうか?ロックバンドの事をあまり知らない親には、昨日見た数々の素晴らしいライブをどのように説明しよう?もしかしたらニュースを見て心配しているかもしれないな。高校の友達には夏休みが開けたら早速自慢しよう。

そんな事を考えていると、あれだけ辛かった出来事が既に一夏の楽しい思い出として僕の中で定着し始めていくのだった。

やがて地元の駅に着く。東京に着いてからというもの、僕に投げかけられる汚いものを見るような視線は無視してきたが、さすがに地元はキツイ。同級生や知り合いにこの汚い格好を見られないよう、小走りで自宅のマンションへ急ぐ。

マンションのエレベーターを降りると、ああ!我が家が見えてきた。

家に着いたら、まず杉内に電話してみよう。そして熱い風呂に入るのだ。とにかく柔らかいベッドでぐっすりと寝たい。

パンフレットを買い忘れてしまったし、僕があの狂気の現場にいた事を証明するのは腕に巻き付いたチケットと全身の汚れしかない。風呂に入り汚れが洗い流され、眠りから覚めて心が平穏を乗り戻せば、全ては終わった事になってしまうだろうか?

いや、そんな事はない。恐らく一生消え去る事のない大きな大きなものが、僕の中にしっかりと刻み込まれた。

鍵を開けて家の扉を開ける。

「ただいま」

僕のフジロックが終わりを告げた。

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次回、最終回です。

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2016年6月23日 (木)

26.『静寂』

気合いを入れて二日目に臨むつもりだったが、僕のフジロックフェスティバル1997は唐突に終わりを告げた。無念さと若干の安堵を胸に、帰宅を決意した僕だった。

しかし冷静になって考えてみると、どうやって帰ればいいのか、さらに今いる場所がどこなのかも良く分からない。取り敢えず人のいる場所へ行こうと、先程のコンビにまで戻る事にした。

車を追いかけて猛ダッシュで走りぬけた道をトボトボと引き返していると、バス停があった。路線図を見てみると、河口湖駅まで行ける様だ。よく分からないが、そこまで行けば何とか東京まで戻れるだろう。幸いお金はまだある。時刻表を見ると、ほんの十分ほど前にバスは行ってしまったようだ。次のバスまで相当待たなくてはいけない。ついていない時はとことんついていないようだ。

コンビニまで戻り飯でも買ってこようかと考えたが、もうこれ以上歩くのは心底嫌なのでバス停のベンチでボーっと待つ事にした。僕以外にバスを待っているのは、ビックコミックスピリッツか何かを読んでいる男が一人。いつの間にか国道の渋滞も解消されている。昨日のフェス会場での喧騒を思うと、何だか不思議な気分だ。

「普段、この辺りはこんなに静かなんだなー」

このバスを待っている時間、改めて、というか初めて昨日起きた事を客観的に思い返してみた。

行きのバスの中で怒っていた人達、泥まみれの毛布に包まっていたカップル、雨で瞬時に水浸しになった昼飯、救急室の喧騒、バスの窓ガラスに投げられた石、杉内と口喧嘩したこと、そして何より熱演を繰り広げたバンド達。強烈過ぎる出来事の数々だったが、今こうして静かにベンチに座っていると何だか幻のようにも思えてくる。

もう天候は完全に回復していて、先程から射し込む暖かい光のおかげで洋服も乾いてきた。しかし服に飛び散った泥水も一緒に渇いていくので、茶色くカピカピになっている。自分がこんなに汚い恰好をしている事すら、今まで気付かなかった。爪で服にこびりついている汚れをこそぎ落としていると、バスがやってくるのが見えた。

フジロック帰りの人で一杯かと思ったが、乗ってみるとそんなに混んでいない。意外にも座る事が出来た。しかし混んでいないだけに、みすぼらしい恰好をした自分が凄く目立つ気がする。乗客の視線を感じる気もするが、もうそんな事はどうでも良い。

バスが走り出してすぐに、僕は深い眠りに落ちた。久しぶりに体も心も安心して休める時間が訪れたのだった。

目を覚ました時には、バスはもう河口湖畔の町を走っていた。ほうとうの看板などが見える。河口湖駅に到着すると、さすがにここはフジロック帰りの客で溢れていた。

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※イベントのお知らせ

いつも当ブログを読んで下さっている皆さま、本当に有難うございます。そろそろゴールが見えてきました。20周年のフジロックが開催される前に何とか書き終えたかったのですが、多分間に合いそうです。

ここ数日、とある話題でフジロックが論争の的になっており、それに伴ってか当ブログのアクセス数も増加しているようです。「日本の大型野外ロックフェスがどのような状態で産声を上げたのか、個人の視点で詳細な体験談を残しておきたい」という思いで書き進めてきましたが、やはりそれは必要な作業だったのかな?と思います。

『富士山麓で俺は泣く』を無事に書き終える記念に、という訳でもないのですが、一つイベントを企画しました。

東京の文京区にあるニッチな話題を語り合うスペース、「もてなし屋 根津」さんで、『1997年、第一回フジロック夜会』という催しをやります。

日時は来月、7月13日(水)の夜です。八時開始という割に深い時間なので、お仕事帰りにも寄れると思います。

僕や他の参加者の方の一年目フジロック体験談、当時の雑誌記事や映像なんかを肴に皆で語り合えたら、と思ってます。勿論、一年目のフジロックに参加されてなくても全然問題ありません。

どなたでも参加できますので、興味がある方は是非下のリンク先で詳細をお確かめください。よろしくお願い致します。

https://www.facebook.com/events/906446506147430/

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2016年6月15日 (水)

25.『急げ!』

「本日のフジロックフェスティバル二日目は、昨日の台風による会場へのダメージが激しい為、中止となりました」

僕は何が何だか分からず、暫くその場で立ち尽くしてしまった。フラフラとその警察に近寄り、

「…それ、それ、本当ですか?」

と弱々しく尋ねる。

「はい」

そっけない答えが返ってくる。周りにいる人達も驚きを隠せない様子だ。

(どうしよう?)

必死に頭を働かせる。

(杉内達と別れてからまだ十分位しか経っていない。国道が若干渋滞していた事を考えると、車はまだそれほど遠くへは行っていないはず…)

そう思うと同時に、僕は走り出していた。筋肉痛も無視して、国道脇を猛ダッシュする。昨日から指に食い込み続けていたビーサンのせいで、足の指の間が痛い。杉内家のハイエースと似ている車が何台もあるが、中を見るとどれも違う。

十分程走っただろうか?突然渋滞が途切れ、車が流れ始めていた。これでは到底追いつけない。僕はふと、杉内の親父さんの携帯電話を思い出した。

「そうだ、あれに掛けよう!」

さっき走ってきた道に確か公衆電話があった。慌てて引き返す。公衆電話はすぐに見つかったが、携帯番号が分からない。しかし杉内の自宅の番号なら暗記している(若い方は信じられないかもしれないが、あの当時はまだ携帯が普及していなかったので友達の自宅の電話番号は大抵暗記していたものだ)。杉内のお母さんに親父さんの携帯番号を聞けば良いんだ!

ところが、よりによってこんな時に小銭が僅かしかない。山梨から東京への通話料を考えると、これでは少ししか話せる時間がない。かといって、先程のコンビニに戻って両替している暇もない。とにかく急いで掛けなければ、車はどんどん遠くへ行ってしまう。

「プルルル、プルルル、・・・はいっ」

杉内のお母さんだ!良いぞ!僕は今の状況と小銭がないので電話がすぐ切れる旨を早口で告げる。幸いお母さんは状況をすぐ理解してくれた。

「じゃあ私がお父さんに掛けて説明するから、五分後くらいにまたここに掛けて!」。

そうか、それなら金はあまり掛からない!五分後、再び杉内の自宅に掛けてみる。

「…ゴメン。もう高速に乗っちゃったんだって」

…終わった。コンビニに入る前に警官の存在に気付いていれば、恐らく間に合ったはずだ。警官は道路の真ん中に立って叫んでいたのに気づかないなんて、僕はなんて馬鹿なんだ。昨日の地獄の下山以上に力が抜けてしまい、その場に膝から崩れ落ちてしまった。

僕はどんなに辛くても、二日目を最後まで見る覚悟はしていた。野宿になっても構わなかった。ライブ終了後、再び歩いて下山するのも。しかし、まさかこういう形で早々と帰途につく事になるとは想像もしていなかった。「ふざけんな!」とか「悔しい!」とかとも違う、何とも言えない不思議な感情に捉われてしまい、僕は公衆電話の前から動けなかった。空を見上げると、僕の沈む気持ちとは裏腹に天気は完全に回復しており、久し振りに太陽が顔を出していた。

だが暫くそうしていると、心の奥の奥の奥の方では、中止になってホッとしている自分がいるような気もするのだった。

フジロックフェスティバル1997、終了。

家に、帰ろう。

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2016年6月 7日 (火)

24.『衝撃』

完全に体調を崩してしまった杉内は家族と東京に帰り、僕は一人で二日目に参加する事が決まった。

今日もライブの開始は10時頃だ。昨日は台風直撃の最中、真っ暗な道を歩いて下山したのでよく分からないが、会場まで到着するのに2時間は見ておいた方が良いだろう。だとすると、既に時間に余裕はない。早速、キャンプ場を後にすることにした。

杉内の親父さんの車に乗り込み出発したが、恐らく一日目だけで帰るフジロックの観客の車なのだろう。国道がそこそこ渋滞している。中々前に進まない車内で僕は昨日の朝のバスを思い出し内心焦っていたが、しばらく走ると国道沿いにコンビニが見えた。あれは昨日、死にそうになりながら山を下りてようやく国道にたどり着いた時にあったコンビニじゃないか!

「ここで降ろして下さい!」

車が路肩に止まり、ドアが開く。

「本当に有難うございました!」

僕は礼を言って車を降りた。

「本当に、本当に気をつけてな。絶対に無茶はするなよ。帰ったら必ず連絡するんだぞ!」

やはり杉内の親父さんは、本当に僕を置いていくべきかまだ迷っているのだろう。顔にありありとその迷いが出ている。

「マジで気を付けてな。一緒に行けなくてごめんな」

杉内も心配そうに僕を見送る。杉内の家を出発する時、まさかこんな展開になるとは誰も思っていなかった。でも何故だかこの時の僕は疲れや不安よりも、杉内の家を出る時に心の中で湧きあがっていたドキドキやワクワクが復活していたのだった。

「じゃあな!」

再び渋滞の列に合流し去っていく車に手を振る。それまで杉内と10年近く一緒に過ごしてきた日々。それをたった一日で上回ってしまう程、昨日二人で経験した事は濃密であったように思う。

やがて杉内の親父さんのハイエースは見えなくなってしまった。

「よし!」

気合を入れて会場に向け出発だ!

国道を横断し、早速コンビニの脇に見える山道に向かう。幸い僕以外にも歩いて山道を登る選択をした人達が結構いる。取り敢えず会場までの道が間違っている、という事はなさそうだ。

コンビニを通り過ぎる時、フト思った。天候はかなり回復してきたとはいえ、まだ小雨くらいはパラつきそうな気配だ。何よりTシャツに濡れたズボンという馬鹿げた恰好では、昨日と同じ悪夢を経験する可能性は高い。雨というより寒さ対策も兼ね、コンビニで装備を整えた方が良いだろう。

コンビニにはビニールカッパの上下があった。ハンドタオルも役に立ちそうだ。店内を見渡してみると、僕と同じように薄着の人達が同じような買い物をしている。何だか少し安心した。

店から出て早速カッパを着込み今度こそ出発しようとすると、また気になるものが目に入った。先程国道を横断した時は気付かなかったが、警官が道路の真ん中で台の上に立ち、何か叫んでいるのだ。

「交通整理か?」

とも思ったが、何となく気になって叫んでいる内容に耳を傾けてみた。

「本日のフジロックフェスティバル二日目は、昨日の台風による会場へのダメージが激しい為、中止となりました!」

「えええええええっ!!!!!! 」

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2016年6月 1日 (水)

23.『固い意思』

二日目に単独で参加する事を決意した僕だったが、問題は山積みだ。

まず、そもそもどのようにして会場にたどり着くか?という問題。会場に直接乗り入れて駐車出来るのは、一日目と同様に事前に申し込んだ車だけ。当然杉内の親父さんの車は申し込んでいないので、僕は昨日と同じく送迎バスを使うしかない。

しかし昨日から状況が改善されたとも思えないので、送迎バスは恐らく昨日と同じような混乱を招くだろう。怒号飛び交うバス車内、イエモンへのブーイング、帰りのバス発着所の惨劇。僕は音楽を楽しみに来たのだ。あの空気に巻き込まれるのはもう嫌だ。それに今の杉内の状態を考えると、僕のせいで余計な時間を取らせるのも嫌だ。

「昨日の事を考えると、バスは何時に会場に付くか分かりません。だから歩いて会場まで登ろうと思います。なので悪いんですけど、会場へ通じる登頂口まで連れて行ってください。そこからは自分で何とかします。心配しないで下さい」

と提案した。自分でも驚くくらい、はっきりと自分の意志が湧きあがってくる。そしてそれを曲げるつもりは毛頭ない。しかし、当たり前だが親父さんは僕に対する保護責任を感じていたのだろう。困惑した表情を浮かべている。

今自分が親になってみて実感するのだが、一緒に出掛けた子供の友達が、過酷な体験をした数時間後にまた「歩いて会場まで行くから先に帰ってくれ」などと言い出したら本当に困ってしまうだろう。

「止めた方がいいんじゃないのか?本当に行くのか?せめてバス発着所まで送るぞ」

と、親父さんは何度も尋ねてくる。

その当時の僕だって、皆と一緒に安全に帰ることが一番良い選択であるのはさすがに理解していた。だが、それでも見たいのだ。最後まで体験しておかなければいけない気がするのだ。しかしそういう自分の意思を貫くなら、これ以上の迷惑を掛ける訳にはいかない。自分だけでやるしかないのだ。

必死で僕を引き留める親父さんに、僕も頑固に「いえ、大丈夫です」を繰り返した。結果杉内の親父さんはしぶしぶ納得してくれた。

その時、体調が悪化して車で寝ていた杉内がのそのそと起き上がってきた。

「これ、穿いていってくれよ」

先程キャンプ場の木柵に干した、杉内が穿いていたチノパンだ。僕がズボンを干した位置より若干日当たりが良かったのか、だいぶ乾いている。「自分の風邪が原因で僕が一人になってしまう」とでも思ったのか、心配して持って来てくれたのだ。しかし着替え等無いこの状況では、体調を崩してしまった杉内がそれを穿いておくべきなのは明白だ。

「ありがとう、でもお前穿いとけ。俺のも穿いてるうちに、きっと乾いちゃうよ」

と、丁寧に断った。いずれにせよ、この一件で昨日の下山途中以来ギクシャクしていた僕と杉内の関係も、一気に溝が埋まったように感じた。

会場にたどり着き無事ライブが見られたとしても、その後再び下山の地獄を味わうかもしれない。そもそも宿も決まっていないのに、どうやって夜を明かすのか?東京まで帰る交通手段も大丈夫だろうか?

昨日あれ程過酷な経験をした上に未解決の問題は山積み状態だったが、天候が回復しつつある事も相まって、何故だか僕は前向きな気持ちになっていた。

こうして杉内一家は東京に帰り、僕は一人で二日目も参加する事が決まった。

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