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2016年7月

2016年7月 8日 (金)

28.『最終回~その後~』

1998年。東京有明で行われた第二回フジロックフェスティバル。前年と違い後ろの芝生で座りながらゆっくりライブを楽しむ僕の横に、杉内はいなかった。

97年のフジロック以降、僕と杉内は全く会わなくなった。仲が悪くなったわけじゃなくて、ただ何となくそうなっていった。大方の予想を裏切り二回目の開催が発表された時、僕は
迷わず杉内を誘った。しかし今となっては理由を忘れてしまったが、杉内からの答えはNoだった。

結局僕は別の友人を誘い、一回目に味わった困難が信じられない位近い場所(僕も杉内も育ったのは有明のある江東区!)で開催されたフジロックに参加したのだった。

一回目とは比べ物にならない位好条件での開催となったし、観客も前年度の反省を踏まえ、時折休憩を交えながらゆったりとライブを楽しむ雰囲気が二回目にして既に形成されていたと思う。

しかし、それでも一回目と同じようなトラブルもあった。

一回目は台風だったが二回目は猛暑による厳しい暑さが観客を襲い、熱中症で倒れた人がかなり出てしまったようだ。そしてその事を一回目と同じようにマスコミはスキャンダラスに報じた。

また、「ハイロウズは熱狂的に受け入れられたのにイエモンは大ブーイングを浴びてしまう」のと全く同じ構図が二年目も繰り返された。ミッシェル・ガン・エレファントのライブは観客の盛り上がりが危険水域に達してしまい、何度もストップがかかった。その時に苛立ちながらもチバが放った、

「お前たちのロックを愛する気持ち、分かるよ」

という言葉は一生忘れられない。一方、初年度は二日目にラインナップされていた為、この年がリベンジとなった布袋のライブでは、曲中にある、

「お前ら、腐った豚だ」

という歌詞を自分たちに向けられたものだと勘違いした一部の観客から、ブーイングが起こってしまった。

このブログの最初の方で書いたように、兄が聞いていたBOØWYが音楽遍歴の出発点であった僕は、布袋出演中のステージ前方と会場後方の明らかな温度差に悲しい思いを抱いた。

また悲しい出来事なのであまり触れたくはないのだが、初年度はあれだけの混乱があっても出なかった死者が、二年目に出てしまった事は書き残しておかなければならないだろう。正確に言うと会場内で出た死者ではないのだが、ライブ後の地下鉄駅の混乱で亡くなられた方が一人いるそうだ。

今回、その情報の正確なソースを見付ける事は出来なかったのだが、主催者側のインタビューで触れられていたのを確かに見たし、実際あの時電車が止まってしまい大変だったので間違いではないと思う。幾ら便利で安全になったフェス環境であっても、やはり常に最低限の注意を怠ってはならないだろう。

しかし良い意味で一年目と同じだったのは、やはり出演者たちの熱演を堪能出来た事。KornやProdigy、二年目だっていつまでも忘れられない位印象的なライブを沢山経験できた。

いま思い出しても笑ってしまうのは、先述の通り帰りの電車が混乱していた事と会場が家と同じ江東区だった事から、またもや僕達は歩いて帰る決断をしてしまったのだ。その結果、見事に道に迷い、何と帰宅までに初年度の下山と同じくらいの時間が掛かってしまったのだ。やはり初年度の地獄は、一概に環境の問題だけではなかったようだ。

三年目からのフジロックは皆さんご存知の通り会場を苗場に移し、以降現在まで着実に歴史を積み重ねている。僕はと言えば、二年目以降なんだかんだと生活環境が変わってしまい、結局あれ以来フジロックには参加していない。

このブログは強烈過ぎた第一回フジロックの衝撃を残しておきたくて始めた。誰もがロケットが飛び立つ瞬間の衝撃を語りたがる。しかし本当に価値があるのは、やはりロケットが落ちずに飛び続けていく事にあるのだろう。だから僕は

「初年度のフジロックの凄さを知らないなんて!」

などと言うつもりは毛頭なく、ずっとずっとフジロックを支え続けて、参加し続けてきた方達にこそ真に歴史を語る資格があると思っている。

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杉内と会わなくなってから五、六年ほど経ったある日。同窓会で久し振りに彼と再会した。何故長い間会っていなかったのか不思議なくらい、あっという間に和んで話は弾んだ。僕は大学を卒業し家業を継いでいたが、相変わらず音楽やギターを楽しんでいた。彼もまだ働きながらギターを弾いていて、ライブも定期的に行っているという。僕は家で弾いて楽しんでいるだけだったので正直、

「ミュージシャンになる夢が諦められなくて、何となく続けちゃってるのかな?」

と思った。

「ライブ、見に来いよ」

と言われた時も、内心困った。弾き語りだというし、あまり良いと思えなかった時に逃げ場がない気がしたのだ。ただ何となく断る事も出来ず、ライブを見に行く事になってしまった。

一か月後。元はスナックだっという銀座の小さなライブハウス。手を伸ばせば届いてしまう程近い距離にあるステージに、杉内が現れた。イントロの力強いストロークが鳴り響き、彼は歌いだした。

僕は何で「あまり良いと思えなかったらどうしよう?」などと思ってしまったのか?相手はあの杉内だ。やっぱり今でもちゃんと一歩、いや何十歩も先を行っている。彼は何となく音楽を続けていたんじゃなくて、着実に歴史を積み重ねていた。まるでフジロックのように。

「僕はどんな歴史を積み重ねてきたかな?」

杉内の素晴らしい演奏を聴きながら、僕は考えていた。

1997年、第一回フジロックフェスティバル。色んな人達の思いを乗せて、フジロックの歴史は積み重なってきた。そして恐らく、これからも。

フジロックフェスティバル20周年。僕は今年、36歳になる。

(『富士山麓で俺は泣く』完)

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